市原中央ロータリークラブ週報      2015.3.24
第1286号

国際ロータリー第2790地区ガバナー 宇佐見 透
第2790地区第3分区Bガバナー補佐 林 正弘
会 長:武田 勲
幹 事:鎗田 眞徳
例 会:毎週火曜日12時30分点鐘 五井グランドホテル

点 鐘:武田 勲会長
ソング:それでこそロータリー
司 会:毛利SAA
お客様:なし


例会内容
 点鐘
 会長挨拶 武田勲会長
 幹事報告 鎗田眞徳幹事
 卓話
 出席報告
 点鐘 閉会



会長挨拶 :武田勲会長
 01

例会の出席最低義務は60%でありますが、私の会長就任以来約70%の席がほぼ満席となっております。今年度は例年以上の年間出席率になるのではないかと期待しております。
私の会社は2月~4月にかけて官公庁の入札で忙しく、入会して20年になりますが3月はほとんど例会を欠席しておりました。100%だったのはクラブ幹事の時と会長の今のみです。今日は本当に多忙で欠席したかったです。しかしながら年度末で忙しいのは私だけではなく、会員皆同じだと思うし会長職を全うするためにもなんとか遣り繰りしてこの場におります。いつも例会に出席して下さる皆様に感謝申し上げますが、2月11日の休み以来休日返上で働いている私の息抜きとして、愚痴と最近の入札方式の変化状況の話を少しさせて下さい。以上略。

 

 


02

幹事報告: 鎗田眞徳幹事 

4月23日千葉緑R.C主催のチャリティーゴルフコンペの申込みが本日で〆切になります。出席希望の方は帰りまでにお声掛け下さい。


ローター研修委員会 宮野委員長卓話03

ロータリーソングについて
ロータリーにおいて、一世紀を超える「歌を歌うということ」を始めた人は、ハリー・ラグラスという人です。
1905年、アメリカのシカゴでロータリーは生まれましたが、その折、創始者ポール・ハリスと、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレ、ガスターバス・ローアら4人の集いに加わり、5人目の会員となったのが職業分類・印刷業のハリーでした。
シカゴロータリークラブの会員になったハリーは、ポール・ハリスの評によると一見無愛想で、クラブ入会の紹介時には「果たしてクラブに入って、ロータリーの友好を実現できるだろうか」と内心危ぶまれたほどの人だったようです。
実はハリーはもともと歌うことが大好きな人でした。
もっとも、当時の欧米では「歌を歌うこと」「コーラスすること」は、人々のごく一般的な風潮でしたので、彼が特に変わった趣味をもっていたというわけではありません。
1905年のある秋の夜、例会で一時的な静寂が訪れた。
会話のざわめきが突然やんだ。警告もなく、ハリー・ラグルスが自ら立ち上がって「おい、みんな、歌おう。」と当時はやっていた歌を何曲か音頭を取って歌った。以来、例会での合唱は、ロータリーの伝統になった。
これが、ロータリーの例会で歌を歌った最初のシーンです。
しかし、このとき歌われたのは、ロータリー・ソングではなく、当時の流行歌でした。
さて、ロータリー誕生後2年目には、些細な意見の相違がだんだん大きくなり、シカゴクラブ内が割れ、出席率も低下するという事態が起こったようです。
そこで、当時シカゴロータリークラブの幹事であったウィル、ネッフ医師が、ハリー・ラグラスと協議しました。
「これがもう1か月も続けば、クラブは解散してしまうだろう」とネッフは悲しそうにハリーに言い、続けて「私は、君が毎週立ち上がって楽しく歌うことにしたらどうか、と思う」と言った。
その結果、ハリーの指揮による歌声が、毎回クラブの例会で響くようになり、いつの間にかクラブも中の雰囲気は改善され、シカゴロータリークラブは解散の危機を脱していたそうです。
歌が人々の心を結んだのです。その後、ハリーの指揮は恒例のものとなりました。
世にコーラスの風潮はあふれていても、例会という集いの中で定期的に歌うことを積極的に続けることは、当時新鮮なものでした。深い意味はなかったかもしれませんが、シカゴロータリークラブのハリー・ラグラスの行為は、歌という親睦に偉大な効果を発揮する微妙な結合剤を提供したことになりました。
日本では、日本最初のロータリークラブは、1920年創立の東京ロータリークラブですが、初めのころは「ロータリーソング」として英語のまま歌っていたそうです。
当初はアメリカ人会員E.Dバートンが会員に歌を歌わせようとして指揮したものの、皆「児戯に類する」としてあまり乗り気ではなかったようです。
彼は、日本におけるソングリーダーの草分け的存在でしたが、その努力は1926年ころになってようやく認められ、1927年のインターシティ・ミーティングの時には、会議中にも会議後の観光バスの中でも、会員の家族が中心となってロータリーソングが歌われ、会員もやっと、歌うことが親睦の源であると理解したようです。
家族は、日本のロータリーに歌うことを推し進める大きな力となりました。
やがて、日本語によるロータリーソングを求める声が高まり、「奉仕の理想」や「我等の生業」が昭和10年、京都における地区大会において、日本語ロータリーソング入選作として発表されました。戦争中は、「君が代」の斉唱が始まりました。
1949年、日本は国際ロータリーに復帰しますが、1951年にロータリーソングが募集され。「手に手つないで」が作られました。これは1952年7月から、日本のロータリーが2つの地区に分かれるという事態に当たり、これからも友情を確かめあい、手に手をつないでいこう、と誓い合った歌です。
「それでこそロータリー」も古く。1953年に誕生しています。こうして、ロータリーの例会では歌を歌うことが習慣となり、この習慣はアメリカの多くのクラブに波及し、今日では、オーストラリア、日本、ナイジェリア、ニュージーランド、カナダなどのさまざまな国のロータリー例会におけるポピュラーな親睦行事となっています。


出席報告:
在籍者数:47名
出席者数:30名
本日の出席率:68.18%
事務局:〒290-0081 千葉県市原市五井中央西1-22-25 市原商工会議所2階
      TEL 0436(37)2545 FAX 0436(37)2546
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